第4話 アジサイ

 第3話 からの続き

 荷物を満載した大型トラックは、その強大な大排気量のディーゼルエンジンを以てしても坂道で加速をすることはままならない。高速道路に登坂車線が用意されているのはそのためだ。
 アップダウンが続く上信越道。緩やかな下り坂が終わると、右に大きくカーブしながら山の中へと続く片側二車線の長い上り坂。坂を下りきる少し手前からアクセルを踏み足して速度を乗せ、上り勾配に備える。道が上り坂に差し掛かると、スルスルと上がり始めていたスピードメーターの針はゆっくりと動きを止め、積まれた荷物が文字通り重くのし掛かる様にしてその針を左に押し戻し始めた。メーターを見つめながらアクセルペダルを更に深く踏み付けて速度を一定に保つ。自分が荷物を引っ張っているわけでもないのに積荷が重いと不思議と体に力が入る。ダラダラと長く続く、登坂車線の無い上り勾配を進み続けると、遠くにイヤな感じで小さなテールランプが見えてきた。外は土砂降り。忙しなく動くワイパー越しの景色は白くもやが掛かったようで視界は良くないが、あれは多分オートバイだ。この雨の中オートバイだなんてよくやるよ。
 遠かった距離はすぐに縮まり、そのテールランプは加速度的にこちらへ近づいてきた。さっきからずっと右のミラーを見ているが、追越車線を走るクルマの列はなかなか途切れない。一度落ちたスピードはなかなか回復できないからアクセルは緩めたくない。前から迫りくるテールランプと右後ろを写す大きなミラーを交互に見ながら追越車線へ移るタイミングを計る。
「クソッ!」
 みるみる近づくオートバイとの速度差は予想以上に大きく、ブレーキは踏まないまでも結局アクセルペダルから足を完全に放さなくてはならなくなった。アクセルを放すと自動的に排気ブレーキが掛かり、あっという間に車速が落ちる。追越車線にこの巨体を移せるだけのスペースはなかったが、堪らず右のウインカーを出しながらハンドルを小さく右に切って道路中央の白い車線を踏み付ける。すると後続車のスピードが少しだけ落ちたから、ミラーを睨みつけたまま素早くシフトレバーを操作してギアを一速落とすとアクセルペダルをドン!と床まで踏み込んでハンドルを大きく右に切り直す。溜まった排ガスを一気に吐き出しながら轟音と共にタコメーターの針は一気に跳ね上がり、失速しかけた大きな車体を坂の上へと引っ張り上げる。なかなか加速するには至らないが、アクセルペダルが底に着いているこの状況では、もうスピードが回復するのをただ待つしかない。
 右のミラーには普通なら見えない後続車のヘッドライトが見えていた。強引に割り込む形になってしまったから怒っているのだろう。申し訳なくハザードを二回点滅させると車線をはみ出すようにして主張していた彼の苛立ちは荷台の後ろに隠れて見えなくなった。
 左のミラーではこちらの加速を待つまでもなく例のオートバイが後ろへ流れて行くのが見えていた。水煙の中に一灯だけ光るヘッドライトがトラック後端まで後退するのを見送ると、左にウインカーに出し直してゆっくりとハンドルを左に向ける。痺れを切らした後続車は、トラックが完全に走行車線に納まるのを待たずに追越車線を走り抜けて行った。

***

 今日は久しぶりの仲間が集まるというので、ロードキングで富山の温泉を目指して関越道をひとり走っている。東京を出発した時は快晴だったのに、北に向かうにつれて雲行きが怪しくなってきた。どんより暗くなり始めた空を見上げながらルート変更を考える。本当は群馬あたりで高速を降り、草津志賀道路を経由して日本海を目指そうかと目論んでいたのだが、この天気では山の上は雨かもしれない。それならこのまま高速で日本海側まで走ろうか。
 花園インターを過ぎた辺りから、大きな風が僕のカラダを前後に揺すり始めた。バックミラー越しの空にはまだ青空が見えているというのに、湿気を含んだその風は雨を予感させている。これから向かう先に視線を伸ばすと、奥に行くほど空は黒い。
 藤岡ジャンクションの手前で上里サービスエリアの看板を見つけると、引き込まれるように左のウインカーを出した。本線から離脱するとアクセルを戻して惰性で走り、バイクのイラストが描かれた看板を目で追いながらパーキングの中を進む。見つけた二輪車用の駐車スペースには、今まさに合羽を着込んで走りだそうとする人達がいた。その隣にロードキングを滑り込ませてエンジンを切る。
 上着のポケットから携帯を取り出して雨雲レーダーを開いてみると、大雨を示す真っ赤なドットを中央に大きく抱え込んだ巨大な雨雲が行く手を完全に塞いでいた。
「こりゃダメだ」
 草津を抜けるルートは当然に諦めるとしても、このすぐ先で分岐する関越道と上信越道のどちらかへ逃げれば雨はやり過ごせるのではないかと思っていたが観念するしかなさそうだった。諦めてサドルバッグから合羽を取り出して雨に備える。ガソリンを満タンにして再び高速道路を走り出すと、特に理由もなく上信越道に進路を取った。藤岡ジャンクションで関越道を逸れた上信越道は、ほぼ直角に西へと向かい長野県の山間部へ入っていく。

 小さな街を抜け、少しづつ標高が上がり始めると辺りは急激に暗くなってきた。これから走る道の先には真っ黒な雨雲が低く立ち込めているのが見えた。まるで僕を待ち構えているかのようなその雲は、暗く大きい。音の聞こえない雷が、壊れた蛍光灯の様に時々空を光らせる。自らの存在を誇示するかのように吹く生ぬるい風に弄ばれながら、僕は為す術なく黒い雨雲に向かって走り続ける。
 やがてそれは予想通りに、しかし唐突にやってきた。大きな水滴が顔に当ったなと思うと同時に乾いた路面は大粒の水玉模様で埋め尽くされ、次の瞬間には真っ黒に塗り潰された。数秒後にはシャワーヘッドを目の前に持って来られたような土砂降りが始まり、サングラス越しの視界は儚く消えた。
 雨粒は前方から真っ直ぐに飛んで来ては、容赦なく僕の顔に針の様に突き刺さる。ハーフのヘルメットを左手で少し前にずらし、雨から額を隠す。そして首をすくめながらサングラスに付いた雫を指でなぞる。
 ミラーの奥には小さく映る大型トラックが少しづつ距離を詰めてきていた。道には川の様に水が流れ始め、クルマの巻き上げる水しぶきで視界は短い。勢いよく合羽に当る大粒の雨がシートに溜まり始める。自分に気合を入れながらアクセルを開け足し、遠く霞んだ前のクルマのテールランプを追いかける。
 緩い上り坂に差し掛かると突然雨足は強くなり、輪ゴムを弾かれた様な痛みが連続して僕の顔を襲う。それをやり過ごす様に斜め下に首を傾げると、下から突風が吹いて大量の雨粒を顔に叩きつけられた。カウンターを喰らった僕は溜まらずアクセルを戻してしまう。そして反射的にミラーを見るとさっきのトラックがすぐ後ろまで近づいて大写しになっていた。スピードを落とす気配もなく猛烈な勢いで迫るトラックを見てカラダが少し固まった気がしたけれど、もう僕にはどうすることも出来なかった。
 

 登坂車線があればそこへ逃げ込み、トンネルに入れば暫しの休息、雨宿り。不機嫌に追い越しを掛けてくるトラックをやり過ごし、追越車線を走り抜けていく無数のクルマを眺めながら、あのワイパーの向こう側はこの雨とは無縁の世界なんだとぼんやり想う。雨の高速道路では、彼らと隔たりはとても大きい。
 山奥の、雨の路上で一人孤独にぼんやりと考える。オレはいったいこんな所で何をしているんだろうか。激しい雨に打ちのめされながらも、まだあと数百キロは走らなければならない。
 前の一点を見つめ続けて走る僕に景色は無く、雨音と水しぶきの音が排気音に重なる。しかしその音すら既に聞こえてはいない。目を開いたまま浅い夢を見ている様に、取り留めなくイメージが流れ続けていく。ずっと忘れてた過去の日々。守れなかった約束や、同級生の台詞の謎。そして、まだどんな虫でも触われたあの頃、雨なんて気にした事はなかったのを思い出す。
 今は天気予報を見ながら週末の予定を考えたりするけれど、子供の頃はそんなもの見なかった。晴れでも曇りでも学校から帰ってくるとランドセルを放り投げて自転車でみんなで走り回った。途中で雨に降られたら、わざと水たまりの真ん中を突っ切って、ずぶ濡れになりながら帰るだけの事。出掛ける前から雨のことなんて考える筈もない。
 そういえば、あの頃なぜか「学区外に出てはいけません」というルールがあった。だから町を隔てる国道の向こう側へは行くことが出来なかった。でも、いまにも雨が降り出しそうだったあの日、ルールを破って道の向こうへ走りだしたら見知らぬ景色に心躍った。そして、もしもこのペダルを漕がなくても良かったら僕は何処まででも行けるのに。そう思った。
 気がつけばカラダの下ではタンクを濡らしながらも雨なんて意にも介さずに走る巨体が余裕綽々で鼓動している。まるでクジラにでも跨っているかの様な安心感。僕はいま、漕がなくても進む夢の乗り物に乗っているのだ。手首をほんの少し捻るだけで前のクルマを豆粒にできる力をシタタめたコイツは僕を何処へだって連れて行ってくれる。あの日の憧れを現実にした今、僕は楽しくて仕方ない。そんな事を想うと雨なんて不思議と気にならなくなった。

 軽井沢の先の、長いトンネルを抜けると土砂降りだった雨は普通の雨に変わった。佐久、小諸、上田、更科・・・。 西へと進む道は次第に日本海を目指して北上を始める。そして長野市の看板が現れると雨は一旦止んだが、妙高越えでまたずぶ濡れになった。上信越道が終点にさしかかる頃に再び雨は止み、ついに僕は北陸自動車道までやってきた。雨の200キロ強を一気に走り切り、名立谷浜サービスエリアに立ち寄ると海が見えた。これから目指す西の空では、雲の隙間から薄日が差し始めていた。
 本日二度目のガソリンを入れたら、海とトンネルが交互に続く北陸道を西へ向かって走り出す。窮屈な合羽を脱いでアクセルを大きく開くとカラダがとても軽かった。スピードが乗っても風の抵抗を感じないのは多分追い風が吹いているせいだ。心地よい排気音を置き去りにしながらスルスルと進む快感。やっと顔を出した太陽と、乾いた路面に感謝しながらのラストスパート。晴れてしまえばもう雨が降っていた事なんて忘れてしまう。やっぱり今日も楽しい一日だった。

 目的地のインターを降りると携帯で仲間に電話を入れる。
「博和?いま着いたよ」
「じゃあ、こっち向かって走ってきてください。途中まで迎えに行きます」
 男同士の会話は素っ気無い。「通話時間8秒」と表示された携帯に向かって、「こっちってどっちだよ」と呟きながら地図を開くと道は一本しかなかった。地図を仕舞うと信号のない一般道を山の方へ向けて走り出す。乾いた路面に所々小さく残る水たまりはよけながら、自分の影を追いかけて気分よく走る。
 暫らく走ると見慣れた形のロードキングが道端に止まっていた。隣に並ぶと妙に暖かそうなジャケットを着込んだ彼が言う。
「来ましたね?」
 目を見合わせてニヤリと表情だけで応えると、彼はチラリと後ろを振り返ってバイクを発進させた。そしてその後ろを追いかける。まっすぐ山の方へ向かった彼のバイクは坂道を登り始めた。高速を降りたらすぐに宿だと思っていたら、結構走り応えのあるワインディングが待っていた。そして次第に上がる標高に、彼が着ていた季節外れのジャケットの意味を知る。

 宿に到着すると、先に到着した仲間たちが浴衣姿で出迎えてくれた。もう一風呂浴びた後なのだろう、皆さっぱりした顔をしている。
 バイクを停めてヘルメットを取ると一度濡れて乾いた髪はバサバサになっていた。目の下は多分黒くなっているし、ジーンズとジャケットもなんだかうす汚れている気がする。
 浴衣姿の男たちは腕組みをして、楽しそうにニヤニヤしながら黙ってこちらを眺めている。皆の視線を受けながら、鉄が冷める音のするバイクから荷物を下ろしていると、同い年の信也が僕に向かってこう言い放った。

「雨なのに、こんな所までバイクで走って来るなんて、ホント馬鹿だよね」
 濡れたアジサイの咲く、宿の玄関先に並べられた6台のロードキング。ナンバープレートは名古屋・長野・川崎・千葉・富山・品川と、皆バラバラだった。しかし、どのバイクも同じように雨で汚れていた。

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Category: BLOG HARLEY

xxx

バイク乗りです。愛車は2003年式ロードキング。側室として BMW K1600B も保有。基本、ノマドワーカーです。

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